MONOSASHI file06
MONOSASHI file27
Noa Shirakawa’s MONOSASHI
〜継(つなぐ)〜
MONOSASHI file27は白川乃愛さん。幼い頃からタップダンスに魅了され、一年半のNYへのタップダンス留学を経て、現在は京都の小桜瑠美タップダンススタジオでインストラクターとして活躍する乃愛さん。自身のタップダンススタイルを武器にこの秋には世界大会に挑戦するなど、乃愛さんの活躍の場は世界へと拡がる真っ只中。今回は京都にて、乃愛さんだけのMONOSASHIについて教えてもらいました。
Q. 読者の皆様に自己紹介をお願いします!
初めまして、タップダンサーの白川乃愛です。25歳です。タップダンスを始めた理由は、自宅が祖母(小桜瑠美)から母へ受け継がれてきたスタジオで、自分も小さい頃から自然と始めていたことがきっかけです。今では、タップダンスは生活の一部になっています。
Q. MONOSASHIの取材では、ゲストにお気に入りの洋服を着てきてもらうプチコーナーを実施していますが、今日はなぜこの衣装を選んだのですか?
エレガントなスタイルが好きで、この服を選びました。トレードマークであるタップシューズの“赤いヒール”が目立つよう、全身をグレーでまとめてみました。私たちのスタジオでは、祖母の代から赤いタップシューズを使っています。ピアスは最近のお気に入りです。先日、ニューヨークへ行った時に購入したもの。ゆらゆら揺れるところと左右でサイズが違うところが好きです。
祖母が始めたタップダンスが母に伝わって、
今こうして自分もできていることは当たり前じゃない。
Q. タップダンスを家族で継いできたことに対してどう考えていますか?
最近考えているのが、祖母が始めたタップダンスが母に伝わって、今こうして自分もできていることは当たり前じゃないということ。他のタップダンサーと関わる機会が増えてから、家族でタップダンスをしてることが個性でもあり、魅力でもあるんやな、と思うようになりました。
Q. 三世代に渡ってスタジオを継承されているとは驚きです!とっても素敵ですね。
先日、祖母である小桜瑠美が作ったスタジオで鑑賞会をしたんです。祖母が元気なうちにみんなとも交流してほしいし、昔の生徒さんからも「先生お元気ですか」といった連絡があったので、その方々と祖母との交流を兼ねて鑑賞会を催しました。鑑賞会では、これまでの「小桜先生」が振り付けた曲をみんなで踊り、とても温かく素敵な時間でした。鑑賞会で祖母の時代の生徒さんとお話ししていると、祖母がこれまでたくさんの生徒さんの人生に影響を与えてきたんだと感じて、祖母はすごいことしてはったんやなと思いました。
Q. その鑑賞会には、歴代の生徒さんが集まったのですね。おばあさまはいつからダンサーをされていたのですか?
祖母は18歳から大映撮影所の女優をしていました。その鑑賞会に合わせて、祖母が女優をしていた時の写真を見せてもらいました。当時の写真を改めて見たのですが、めっちゃ綺麗でした、、、。祖母はその後、東宝ダンシングチームに入り、女優と両立していたので、映画などにたくさん出演していたそうです。
おばあさまの女優時代のお写真
Q. 小桜瑠美タップダンススタジオは、どのタイミングで始められたのですか?
祖母の父が、京都で文化教室をしていて、そこにタップ、バレエ、音楽、写真の4つコースがあって、祖母はそこの生徒だったそうです。生徒として通っていた時に、その教室のタップの先生が辞めるタイミングで祖母が生徒から教える立場になり、「自分でもスタジオを持ちたい」と思ったそうです。それから1951年に京都に自分でスタジオを出したのが始まりです。鑑賞会に来てくださった内の3人は、一番最初のスタジオ時代の生徒さんでした。こういう話を自分はなんとなく知っていたぐらいだったので、祖母の存在が当たり前じゃないなと改めて感じる機会になりました。
鑑賞会の集合写真
(前列には、おばあさまと一番最初のスタジオ時代の生徒さん)
Q. タップダンスを自然に始めていた乃愛さんが、大きくなってからスタジオの歴史を知って、さらに気付きがあったんですね。
Instagramに祖母と母のことを投稿したときに、ニューヨークのタップダンサーの方から「え!家族で代々やってるなんてすごい!」と反応があって代々タップダンスが受け継がれていることが「珍しいんやな」と気づいたんです。
ニューヨークに行くまで、
独自のスタイルを持っていると思っていなかった。
Q. ニューヨークという言葉がありましたが、ニューヨークにいた時期があったんですか?
22歳から24歳にかけてダンスを学ぶために、1年半ニューヨークに行っていました。日々レッスンを受けていくうちに、自分のタップダンスのスタイルを褒めてもらえる機会があって。リズムタップが多い中で、私は“魅せるタップダンス”を祖母や母から教わってきていたからこそ、レッスン中も無意識のうちに手の振りがついちゃったりするんです。それまでは自信がなかったのですが、「乃愛は、自分のスタイルを持っているよね」と言ってもらって嬉しかったです。
Q. 「魅せるタップダンス」のスタイルは、おばあさまの代から、ずっと変わらないスタイルなんですか?
そうです。自分の中では、小さい頃からこのスタイルだったので、独自のスタイルを持っていると思っていなかったし、祖母から受け継いだスタイルが、周りの人からも評価してもらえるんだとニューヨークに行って知ることができました。
小さい頃から祖母の踊り方を学んで染み込んでいった。
Q. 京都のスタジオを飛び出して海外に行って初めて気づいたことだったんですね。ということは、乃愛さんの踊り方は、おばあちゃんの踊り方と似ているということですか?
めっちゃ似ていると思います。祖母は強い女性で、厳しくはないけれど「もっと手をこうしたほうがいいですよ」とか、「肩の力を抜いて下げる」 「足先まで綺麗に」ということを練習のときに言ってくれたので、小さい頃から祖母の踊り方を学んで染み込んでいった感じです。
Q. ダンス留学って本当にかっこいいです。本場のニューヨークで過ごす一年半はどんな一年半でしたか?
留学中に、だんだんフィルミングやテレビ、パフォーマンスの出演依頼を受けるようになりました。フィルミングというのは、自分たちを表現する動画を作るための動画製作のことで、声をかけてもらったことで、私のダンスって求められてるんやと、自分の価値を感じられて自信がついたニューヨークでの1年半でした。元々は1年間の予定だったんですけどね(笑)。
NY留学中の乃愛さんの様子
Q. なぜ1年間の予定から半年伸ばしたのですか?
なんでか分からないけれど、ニューヨークがめっちゃ好きで。海外というより、とにかくニューヨークが好きなんです。街が刺激的で、ミュージカルや舞台が毎日あるし、探せば探すほどダンスや音楽で溢れている。最初は1年間の予定だったのですが、よくよく考えたら、1年だと四季を一度しか体験できないと気づき、、。もう一度ニューヨークの夏を経験したいと思い、もう半年伸ばすことにしました(笑)。振り返ると、留学当初は慣れるので必死で季節を楽しんでる余裕なんかなくて。ニューヨークを100%楽しめていなかったので、1年では短く感じてしまいました。
Q. ニューヨークはタップダンスの本場なんですか?
そうです。本場だから留学先として選びました。私が中学3年生の時に、「若い時から本場を見せてあげたい、学ばせてあげたい」という父の考えで、一度ニューヨークに連れて行ってもらったことがあります。当時のことは鮮明に覚えていて、その中でも特にミュージカルを観たことが記憶に残っています。特に印象に残っているミュージカルは「After Midnight」。ミュージカルは基本的にストーリー性があるのですが、そのミュージカルはストーリーがなくて、パフォーマンスがメイン。舞台上に出てきたタップダンサーのタップがめちゃくちゃうまくて、衝撃的だったのを今でも覚えています。その人はJared Grimes(ジャレッド グライムス)というタップダンサーで、今回の留学でもいろんなご縁が繋がって、彼のバースデーパーティーにも招待してもらったり、2度も会うことができました。
ただ楽しいだけよりも「成長」を選びたい。
成長を続けたいし、止まりたくない。箱に捉われたくない。
Q. ここまで乃愛さんのタップダンサーとしての人生を聞いてきました。乃愛さんが大切にしてる信念とはなんですか?
タップダンサーとして、自分のスタイルを曲げないこと。祖母からのスタイルを曲げない。そして、影響力のあるタップダンサーにもなりたいです。
生き方の選択肢として、ただ楽しいだけよりも「成長」を選びたい。成長を続けたいし、止まりたくない。箱に捉われたくない。自分のスタイルを貫くことは、タップダンスだけでなく、普段の生活や他の面でも同じです。自分のスタイルを曲げずに貫きたいと思います。
Q. 最後に、乃愛さんだけのMONOSASHIとは?
私のテーマである、継(つなぐ)です。これは、祖母や母から受け継いできたもの、そして多くの人にタップダンスを知ってもらいたいという思い、生徒さんや観てくださった方々とのつながり、という意味が込められています。「繋」という漢字よりも、祖母や母から受け継いできたという意味を込めて、「継」の字が私にはしっくりきます。
モノサシチームと共に!
MONOSASHI編集長 / 松井瞳
interviewer :Hitomi Matsui , Kohyoh Hayashi
editor :Kohyoh Hayashi , Mashiro Takayanagi , Hitomi Matsui
potographer :Ayane Muro
creative designer : Sawako Hiramatsu , Mashiro Takayanagi
character designer : Rei Kanechiku
location : Kyoto