MONOSASHI file06
MONOSASHI file26
Reika Kurihara’s MONOSASHI
〜その選択肢を選んだ先の
自分が笑っているか〜
MONOSASHI file26は栗原礼佳さん。日本語、英語、中国語、韓国語の4カ国語を操るマルチリンガルで、これまで東京や上海、北京、ニュージーランドなど、さまざまな場所で生活をしてきました。幾度となく大きな決断をしてきた背景には、どのような考えがあったのでしょうか。今回はれいかさんだけのMONOSASHIについて教えてもらいました。
Q. 読者の皆様に自己紹介をお願いします!
初めまして、栗原礼佳です。2003年12月24日、クリスマスイブに生まれました。元々は北京大学に通っていたのですが、少し前に大学を辞めて、今は慶應義塾大学の総合政策学部に通っています。
買った物ってどんどん当たり前に馴染んじゃうけど、
これはいつ着ても新しいというか、ワクワクする感じがします。
Q. MONOSASHIの取材では、ゲストにお気に入りの洋服を着てきてもらうプチコーナーを実施していますが、今日はなぜこの衣装を選んだのですか?
私は直感型じゃなくていろいろ論理的に理屈で考えちゃうタイプなのと、服に対してそこまでこだわりがないので、何を着るかすごく悩みました。私は服を買った瞬間に一番満足しちゃうタイプだから、その中でも一番長く満足感が残っている服にしようと思って、2〜3年前に買ったこのワンピースにしました。買った物ってどんどん当たり前に馴染んじゃうけど、これはいつ着ても新しいというか、ワクワクする感じがします。
Q. 冒頭にもあったように、れいかさんにとって「海外」は切り離せないキーワードかなと思うのですが、初めて海外を経験したのはいつですか?
5歳の時に、母と一緒に留学ビザを使ってニュージーランドに一年間行きました。まだ5歳だったから遊んでいた記憶しかないけれど、それが初めて海外に住んだ経験です。
Q. どういうきっかけでニュージーランドに住むことになったのですか?
駅の近くに英会話教室ってあるじゃないですか。幼稚園の時に、お母さんがそこに私を連れて行ってくれて。それで私がリンゴという単語を勉強した帰りに「アップルジュース」って叫んだんだよね。でも、お母さんはその「apple」の発音がショックだったらしくて。「カタカナ英語じゃなくて英語の発音を学んでほしくて教室に行かせているのになんでカタカナ英語なの?」みたいな。それで、年長さんのクラスも決まってたけど、それもやめて、小学校入学までの1年間ニュージーランドにお母さんと2人で行ってきました。
ニュージーランド留学中のれいかさん
高校の三年間で何を成長したいか考えた時に、
自分の選択肢を一番広げられるような進路を選びたかった
Q.5歳で留学ですか、、、その後はどのような進路を選んだのですか?
まず中学校は私立のIB校(国際バカロレア認定校)に進学しました。そこでは、英語で主要科目を勉強したり、知識よりもレポートやディスカッションを勉強したりする3年間を過ごしました。中高一貫だからそのまま進学して、大学進学のためにDP(ディプロマ・プログラム)の単位を取得する選択もできたんだけど、かなり3年間で成長できたし、これ以上大きく成長することないなと思ったから、次は上海の高校を選びました。高校の三年間で何を成長したいか考えた時に、あまり「将来これやりたい」っていう強いものがなくて、自分の選択肢を一番広げられるような進路を選びたかったんです。
Q.高校に進学するときは、一切中国語がわからない状態で上海に渡ったのですか?
ニーハオとかシェイシェイとか、1から10の数字ぐらいがわかるレベルで行きました。中国語の検定であるHSK(漢語水平考試)でいうと、一番初級である1級を取得するためのクラスに入って、中国語をメインで勉強しながら、地理や歴史、数学、物理などを学びました。
上海留学中のれいかさん
Q.5歳の時とは違って、単身で中国に渡って過ごした3年間を振り返ってどうでしたか?
高校3年間はコロナとかもあったけど、私的にはすごく貴重な時間でした。だけど、その3年間って成長段階だから周りにも影響されやすくて、学歴が大事にされる国だから、自分も学歴をすごく気にするようになっちゃって。みんなが目指してるのが海外の有名大学とか、それこそ国内だったら北京清華大学とかだったから、私も同じように目指して入ったのが北京大学でした。
母が「高卒でも成功してる人いっぱいいるじゃん」って言うから、
その言葉をきっかけに弾丸で大学をやめました。
Q.自己紹介でも少しありましたが、中国でもトップの大学をやめて帰国した背景が気になります。
上海と北京って全く違う国まではいかないけど、私からしたら別物の世界で。北京の良さはすごくあるし最初は新しい発見ばっかりだったけど、それまで上海で過ごして居心地の良さを覚えていたから、私の性格には北京がちょっと合わなかったのかも。
あとコロナ渦で生活が本当に大変で。将来は絶対に日本で仕事や生活をしたいと思っていたので、コロナの影響がいつまで続くか分からないまま北京で4年間を過ごすことに疑問を覚えるようになりました。中国でしかできないことで将来に活かせるものって何だろうと考えた時に、あまり残らない気がした。もう既に自分が培った内容で満足したから、思い切って決断を早いうちにと思って日本に戻ることにしました。
Q.それまで学歴を気にしていたれいかさんの考えを変えたのは、何だったのですか?
日本に帰国してすぐの年末年始に親戚で集まった時に、もしかして大学を辞めてもいいんじゃないかって思っていた私に母が、「高卒でも成功してる人いっぱいいるじゃん」って言うから、その言葉をきっかけに弾丸で大学をやめました。時系列はちゃんと覚えてないんだけど、ある朝起きて「やめよう」となって、大学をやめた記憶があります。
ワードチョイスってその人の感情や考えを
繊細に伝えるものだと思ってるから、私は言語が好き。
Q.日本に帰ってきてからも、韓国留学に行ったりしているのを見ると、言語に興味があるように感じるのですが、いかがですか?
言語自体に関心があるわけじゃなくて、私的に言語はツールの一つ。翻訳機とかがすごく発展する中で、わざわざ勉強するのは、私は一言一言のニュアンスを大事にしたいから。日本語は日本語にしかないニュアンスがあって、中国語は声調や語尾によって意味が変わったり、感情が変わったりっていうのと一緒で、ワードチョイスってその人の感情や考えを繊細に伝えるものだと思ってるから、私は言語が好き。ただ言語を学ぶよりも、その言語の先で何か関心事がある時だけに学びたいと思うし、この言語量で今はもう満足かな。
Q.れいかさん的にはどういう考えを持って興味関心を知識として広げていっている感覚なんですか?
私は一つの夢があってそれに向かっていろんな方面から突き進んでいくというよりかは、ゲームでアイテムをゲットして少しずつ自分を強くするというか、武器を増やしてる感覚で勉強してるかなと思います。それこそ言語もツールだからそうやって身につけているものの一部だし、そこからマーケティングもやったけど、そこの抜け穴や難しいところを法律で補おうとしたり、どんどん吸収している感覚に近いかもしれない。
自分的には大きな決断をしているイメージはなくて、
テーブルにある選択肢の一つみたいな、
「どのおかずを食べようか」ぐらいの感覚なんです。
Q. 今日の服は直感ではなく結構悩んだっていう話でしたけど、でもそれぞれの決断がすごく潔いというか、しかもその決断が人よりも大きいし早い気がして、自分の決断のきっかけになってるものはありますか?
私はかなり現実主義者だし、理屈で考えちゃうタイプだから、自分が将来これしたいとか自分が今これ欲しいとかそういう何かに合わせて、一番後悔しない最良の選択肢を常に取るようにしてて。特に、選択肢に関してはすごく現実的に理論的に考えて決めてるかもしれない。選択する物が大きくて突拍子もないからみんなに疑問に思われやすいのかな。
Q. 大きい決断をするにも、ちゃんと自分の中では結構悩んで考えて、だけどやるときは結構潔くという感じですか?
自分的には大きな決断をしているイメージはなくて、テーブルにある選択肢の一つみたいな、「どのおかずを食べようか」ぐらいの感覚なんです。北京大学をやめるとかもそのぐらいのレベルだった。それは、これまでいろんなところに住んでいたから、固定概念があんまりなくて、柔軟に考え方を変えられるからこそ、一見大きな選択肢も自分の中では全て同じレベルに見えて選んでたのかもしれない。
自分がどうしてその選択肢を選んだのかっていうのを明確にしておけば、
「その時の自分がこうやって選んだから」って満足できるし、最後は笑っていられる
Q.れいかさんのモノサシが形成されたのは今までの人生のどういう瞬間ですか?
見る人から見れば順風満帆な人生に見えるかもしれないんだけど、高校生のときにコロナが始まってから、人生で初めてネガティブになる経験をしました。実はその時期に、中国の高校を選んだのを1度後悔しかけたことがありました。その背景としては、中国はビザの問題で現地に飛べず、どこにも行けないとか、日本と比べて本当に大変な状況でした。画面越しで中国のクラスメイトがみんなで楽しそうにしてる授業を1人で家から見るっていうのをずっと続けていて、その瞬間が初めて自分のした選択に悩んだ時でした。
でも人生って1回落ちないと上がるところにも上がれないし、自分がこれから高望みしたい将来とか、自分が思い通りにしたいなら、やっぱりそれぐらいの代償があるのはしょうがないかなと思ったらいい。後悔するよりかは、先を見通したときにどんなことがあるかは分からないけど、その時にどういう選択肢をテーブルの上に広げたかとか、その中で自分がどうしてその選択肢を選んだのかっていうのを明確にしておけば、「その時の自分がこうやって選んだから」って満足できるし、きっと人生ってうまくできてるから最後は笑っていられるのかなと思っています。
MONOSASHI編集長 / 松井瞳
interviewer :Kohyoh Hayashi, Sawako Hiramatsu
editor :Hitomi Matsui, Kohyoh Hayashi
potographer :Fuku Hirano
creative designer : Sawako Hiramatsu , Mashiro Takayanagi
character designer : Rei Kanechiku
location : Kyoto