MONOSASHI file06
MONOSASHI file23
Yuko Tokuyasu’s MONOSASHI
〜自然の舞踏、世界の舞踏へ
自らもまた参加する〜
MONOSASHI file23は徳安優子さん。遊舞舎で自然や民俗芸能を参照しながら身体表現を追求し、全国各地で公演を実施しています。幼い頃から舞踏の世界で生きてきた優子さんが何を思いながら踊り続けているのか。今回は優子さんだけのMONOSASHIについて教えてもらいました。
Q. 読者の皆様に自己紹介をお願いします!
遊舞舎という団体に所属し、双子の妹で舞踏家の慶子と、アーティスト・ドラマトゥルクの珠子と共に舞踏を軸とした制作活動を行っています。自然と人との関係性や、民俗芸能を参照しながら、現代における祈りの姿として立ち現れる身体について探求と制作を行なっています。
Q. MONOSASHIの取材では、ゲストにお気に入りの洋服を着てきてもらうプチコーナーを実施していますが、今日はなぜこの衣装を選んだのですか?
今日は白をベースに考えてきました。舞踏では、よく身体を白く塗って舞台に立ちます。白塗りの理由は、石膏像を模しているとか、存在を消すためだとか様々に語られています。その中で、私は白という色を「静けさ」として捉えています。私の家の庭に、白い芙蓉があったのですが、芙蓉の花の白さは、いつもとても柔らかに光を受け取っていました。白は、空や風を透過するわけでもなく、少し濁りながら、ぬくもりのある光を宿します。そこには静けさのようなものがあったような気がして、そういう色彩を纏いたいと思って白い服を着ました。ストールは青ですけれども、これは藍染の青です。私は染色家の志村ふくみさんの本をよく読むのですが、以前読んだ本の中に、古来より人は自然由来の染料で染められた布を纏うことで、その色彩の霊力を自分の身体にも授かっていたという内容が書かれていて大変感銘を受けました。藍色の青は日本の風土の青さだと感じています。あの藍の綺麗な緑色の葉が夏の日光をいっぱいに吸って、さまざまな過程を経て色彩として染め出されるわけですが、そこには日本の夏の空の青さや、海から来る湿気や、そういった様々なものが風土として宿っているように感じます。
生きざまを咲かせていく、活かしていく舞踏
Q. 優子さんの言葉は情景がありありと浮かびます。自然に触れているからこそ、真髄を突いてるような気がします。自然に触れるようになったきっかけがあるのですか?
きっかけは、幼少期に自然の中で遊ぶ経験をたくさんしてきたことかもしれません。幼少期、家の側に池や森などがあって、よく両親に散歩に連れて行ってもらいました。そうした経験の中で、しんと立って雨に打たれる木々の美しさや、枝垂れた枝の曲線のやさしさや、ひとひらの葉が地面へ落とす影のさやけさや、様々な自然の佇まいに出会い、風景を心と身体とを使って受け取ってきたように思います。自然の内に高鳴る生きざまのようなものに耳を澄ますこと、そしてそれが聞こえてくるのを待つことを幼い頃からたくさん経験してきたように思います。
Q. 自然の中から身体表現につながっているのは、幼少期からの関心だったんでしょうか?それとも、表現を習っていたから受け取ることができたんでしょうか?
幼少期からの関心だったように思います。世界に対する眼差しという話にも繋がると思いますが、踊りというものを通して世界を眼差してきたということがあるように思います。例えば道端に花が咲いて揺れているとすると、それをふと見つけたときに、ただの動きとしても捉えられる。でも一方で、それが踊っているかもしれないとか、風とデュエットしているかもしれないというふうにも捉えられると思うんです。そして、花には茎が、根が続いていて、地面から生えてるわけで。大地の暗黒を貫いてゆくような狂気のようなものもあって、それがひとひらの花の踊りを支えている。そういうものが全て重なりながら自然の舞踏、世界の舞踏が在るように思います。自然を「踊り」という視点で見てみると、そこへ命が、透明な焔の芯のように通っているような気がします。そのようなことを幼少期から感じてきた中で、最終的に身体表現に行きついたように思います。
Q. 舞踏で、世界を眼差すってどういうことなのでしょうか。
自然や世界の内に、物語として紡がれた生きざまを見出し、それを自分の命をもって受け取ることじゃないかと思います。踊りには、自分の存在の底から世界に関わり、世界の連続性に出会ってゆくようなところがあると感じるんです。そうした連続性の中で、瞬間瞬間に命が刻む時間に出会ってゆくということが舞踏という眼差しなのではないかと思っています。
稽古の中で、「舞踏というのは生花に似ている」ということをよく言われます。花は確かに花であるだけで美しいけれども、それを生けてゆくことでその「生きざま」のようなものを際立たせてゆくのが生花だといいます。舞踏も、その人がその人であるだけで価値があるけれども、その生きざまを咲かせてゆく、活かしてゆくようなところがあると思っています。それは、命を大切にするということにも連なるように思います。
作品を人間だけの世界で終わらせないで、
劇場空間に風土を立ち表すことを意識しています。
Q. 優子さんは、ご自身で舞踏の作品も作られていると思いますが、主題の決め方や、作品を作る際に大事にしていることはありますか?
作品を創作する際に、まず「風土」を意識します。その場にどのような気候がかよっているか。足裏に踏む大地はぬかるんでいるか。乾いているか。虚構がどのような音で響いているか。作品を人間だけの世界で終わらせないで、劇場空間に風土を立ち表すことを意識しています。例えば、以前「情景 河原にて」という作品を創作しました。「情景」という言葉は、アイヌ古式舞踊の「情景の踊り」から引用しています。「情景」は、風景とは少し違うんですよね。人だけでなく、景色の中にある小さな虫の羽音や、そこへ転がる石や、透明な水の匂いのようなものさえも、世界との関わりの中で瞬間瞬間に様々な心象を結んでいるのかもしれない。そういうものたちの、記憶や物語を写した奥行きのある風土として、情景を立ち現すことを試みました。また、実際に作品を踊る中で、そこに存在する命や魂に対する祈りや、自分自身がそれらの存在と重なっていくことを意識しました。
祈りとしての舞踏
Q.やっぱり最後には「祈り」に繋がるのですね。
そうですね。踊りの内にひらかれる祈りは、直接的に現実を変えるわけではないのですが。自分の内側を何かに注ぐ、捧げる、世界の内に信頼をもって何かを置いていくような、そういった祈りのようなものが創作の原点にあるように思います。
全ての動きや生きざまのさなかに、
自分自身も参加するような感覚で踊りというものがあると思っています。
Q. 自然の動きとか、それそのものが踊りになっているのかもしれないんですけど、表現をなぜしたいと思ったのでしょうか?
踊っている時に感じるのは、やはり、表現というよりは、自然の踊り、世界の踊りに自らもまた参加しているということです。結果的にそれが表現になっていた、表現の場においてそれが許されていたということだと思います。
踊りは人間だけのものではなくて、浜に弧を描いて海が寄せることも、遠くの星の微かな瞬きも、それを踊りとして受け取った時に共に踊ることができるかもしれない。そういう全ての動きや生きざまのさなかに、自分自身も参加するような感覚で踊りというものがあると思っています。
Q. 優子さんのモノサシはなんですか?
私のモノサシは、世界を踊りとして、生きざまとして受け取ることだと思います。それが、私の世界の眼差し方(まなざしかた)だと感じています。そしてまた、目にみえる体の動きだけではなく、心が踊ることも踊りだと思います。例えば、手足が動かない方や、病気で寝たきりの方が踊れないわけではないと思うんです。そういう方も心は踊っていることは十分にありますし、その方がそこへ在るということそのものが、確かに踊りであると思います。踊りは、存在の底に透明な光の芯のように照らされて在る命を、生きざまを、自らの命を通してまなざすことだと思っています
Q. 今日は、大切なものを持ってきてくださったのですか?
はい。このピンク色の小さな椿のキーホルダーは、岩手県の大船渡市での大切な思い出があって持ってきました。大学1年生の時に大船渡の復興ボランティアに参加し、復興市の屋台のお手伝いをしたことがありました。その際に、「時間があるのでちょっと踊ってくれないか」と言われて踊ったんです。その日は秋晴れの美しい日で、屋根もない駐車場の砂利の舞台で、即興で踊りました。観て下さった方はご高齢の方が多かったのですが、皆涙を流して喜んでくださいました。踊り終わった後に、震災のショックで声が出なくなってしまった年配の女性の方が私の方へ来て、手を握って話してくださいました。彼女は私の手をぎゅっと握って「感動した。あなたは踊り続けてね。」と一生懸命伝えてくださいました。それが私の中でとても大事な思い出です。踊りのレベルとしては取るに足らないものだったかもしれないですが、こんなふうに一生懸命伝えてくれる方がいるのだったら、私はこの方との約束じゃないですけど、この方のためにも踊りを続けたいと思って。私にとって原点のような体験です。椿のキーホルダーはそのおばあさんから貰ったものではないですが、大船渡で貰ったものです。この記事もあの時のおばあさんに届くといいなと思います。
MONOSASHI編集長・HI合同会社インターン / 松井瞳
interviewer :Mashiro Takayanagi , Hitomi Matsui , Sawako Hiramatsu
editor :Mashiro Takayanagi , Ryoma Iizuka , Hitomi Matsui
photographer : Yusei Ochi
creative designer : Sawako Hiramatsu , Mashiro Takayanagi
character designer : Rei Kanechiku
location : Kamihoshikawa